「私の中」に「世界」が在るということ

私たちは「私がみている世界」が、「相手にも同じようにみえている」と思って生きています。

けど、果たして本当にそうなのでしょうか?

例えば、目の前に木々があったとします。

それをみてある人は

森を想像し、そこから広がって雄大な山々まで思いを馳せるかもしれません。

またある人は

木の肌を感じ、木の温もりまで感じ、それに集まる虫達に思いを馳せるかもしれません。

どちらか片方が正しいとか、優っているというわけではありません。

同じものをみているはずなのに、感じ方は全く違ってくるものでもあります。

そのように、同じものを見ているのに

寸分違わずに同じことを感じられることは

もしかするとないのかもしれません。

けど、それは逆に

「外」に「世界」があるのだと、通常なら考えるところですが

自分の「内」を「世界」が映し出している。

そう、それは

どちらかが「先」に在って存在しているわけではなく

「同時」に存在している。

「同時」に共鳴し合っている。

つまりは

「今」「ここ」に「世界」がある。

「私の中」に「世界」が在るということかもしれません。